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法福寺(ほうふくじ)は、新潟県長岡市寺泊(旧寺泊町)にある日蓮宗の寺院である。山号は寺泊山。旧本山は、京都妙覚寺。奠師法縁。 == 歴史 == 寺伝によれば天平宝字元年(757年)頃、越前国の泰澄が現境内南方の山頂に開創したのを起源とする。当初は法華堂と号していたが、いつのころか法華寺と号すようになった。 弘仁3年(812年)、最澄が寺泊を訪れ、天台宗に改宗される。 文永8年10月21日(1271年11月24日)、 佐渡へ配流される日蓮が途中の寺泊に到着する。このとき、日本海特有である冬の海風が強く、佐渡へ渡ることが出来なかったため(結果的に7日間)寺泊に逗留した。この間、時の法華寺住職が日蓮に会い心服し、自ら請いて弟子となり日傳と改名。日蓮を開山と仰ぎ、法福寺の寺号を頂いた(後日、佐渡へ渡った日蓮へ会いに行ったとき頂いたとする説もある)。なお、逗留中、日蓮は『寺泊御書』を述作するが、これに用いた水を汲んだ井戸が今でもかれずに残っており、硯水の井戸 と名付けられ大切にされている。 文亀元年4月6日(1501年4月23日)、火災。山頂より現在の活動拠点である中腹へと堂宇を移転する。 永正7年(1510年)、永正の乱で戦火を浴びる。 宝永3年(1706年)、日蓮が逗留された土地が石川家より寄進さる。 寛保2年(1742年)、このころの村鑑に「祖師堂。長三間半、横三間半、法福寺境内に御座候」とある。 寛延4年4月27日(1751年5月22日)、祖師堂類焼する。 寛政8年6月4日(1796年4月23日)、山崩れにより本堂損壊する。 文化元年(1804年)、このころ成立したと思われる風土記に、客殿、庫裡、番神堂、石鳥居、稲荷社、鐘楼、法華堂跡、(現在は松食い虫の被害にあって切り倒された)松、薬医門などが法福寺にあった、と書かれている。 文政7年12月(1825年1 - 2月)、良寛の妹むら子(むら?)死去。法福寺墓地へ埋葬される。 慶応4年5月(1868年6 - 7月)、水戸脱藩兵信夫善治(本名:水戸藩家老職、佐藤図書)死去。法福寺墓地へ埋葬される。 明治5年11月11日(1872年12月11日)、類焼。堂宇が灰燼に帰す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「法福寺 (長岡市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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